閲覧者数: ...

透明な聲

[ウミガメのスープ]

病で声を失った歌手の深月。
免疫力が弱まっているため、見舞いも厳しく制限されている。
握力も弱まり、今では箸も持てない状態だ。
そんな深月を見舞う少女が、毎晩、鏡を持ち歩いているのはなぜ?


出題者:
出題時間: 2022年6月8日 19:16
解決時間: 2022年6月8日 19:52
© 2022 まんと(2) 作者から明示的に許可をもらわない限り、あなたはこの問題を複製・転載・改変することはできません。
転載元: 「透明な聲」 作者: まんと(2) (Cindy) URL: https://www.cindythink.com/puzzle/7441
タグ:

深月がガラス窓に書いた文字を、窓の向こう側から判読するため。

----------

入院してすぐに気がついたが、病室ほど自殺に向かない場所はない。
カーテンレールは脆いし、簡素な四脚ベッドではロープを固定できない。スライド式のドアだから、ノブにロープを引っ掛ける余地もない。
一階なので飛び降りることもできない。第一、窓が小さいから脱出さえ不可能だろう。ガラス片で頸動脈を貫こうとも、その前に音で気づかれて治療されるのがオチだ。
「こちら119番。火事ですか、救急ですか」
「救急です。助けてください、患者が危篤なんです!」
くだらないジョークを考え、わたしは眠る。
夜、カルモチンで死に損なう夢を見る。

朝だ。小窓から見える楡の木が美しい。
病院に落葉樹を植えるのは、どうかと思うけれど。この病院の職員は誰も、O・ヘンリーを読まないのだろうか。
入院して四か月が経った。
最初はバーゲンセールのように見舞客が訪れたが、今では、一週間に一人も訪れれば多いほうだ。
自分が思ったよりもしぶといことを恥じらいつつ、運ばれてきた朝食を食べようとした。
自傷を防ぐための、木製のカトラリー。
スプーンを持つ手が震え、取り落としてしまった。
主治医が問診で、病の悪化を告げる。

周りの人間から「早く死ね」と思われている気がしてならない。
外出には看護師の付き添いが必要だし、ペンも満足に持てない。
その無力感に起因する被害妄想なのだろう。
そう思おうとするのだけれど、妄想には妄想なりの説得力がある。
外出の時間、わたしは楡の木の近くにいることを望んだ。
わたしは無言で、看護師が時折いう「風が気持ちいいですね」などという言葉に頷くことしかできない。
いつものように楡の木を近くで眺めていると、見舞客なのか、一五歳くらいの少女が駆け寄ってきた。
「あのっ……深月さん。ファンです!」
久しぶりにファンという人間に会ったことがこそばゆく、笑みを返そうとするのだが、うまくできない。
わたしはこの半年で、笑顔の作りかたを忘れてしまったようだった。
「深月さん」
看護師が小声でどうするか訊ねてくる。「病室にもどられますか?」
わたしは首を横に振り、少女の一方的な話に相槌を打つ。

それから毎日、わたしは少女と楡の木の下で会った。

主治医は、毎日のように病の悪化を告げた。
「これからは、面会も原則として謝絶します」
誰も見舞いに訪れない。面会の禁止は、さほど辛くはなかった。
でも。
『さ・ん・ぽ・も』
ペンも満足に持てないので、五十音表を用いて、こっくりさんのようなコミュニケーションをするしかない。
ちょっと早く悪霊になってしまったな、とブラックジョークを思いつく。
「ええ、お散歩もです」

数日が経ったとき、窓がコツンと叩かれた。
『きちゃいました』
少女は窓に白い息を吹きかけ、物音で気づかれないように慎重に、文字を書いた。
鏡文字だったけれど、どうにか、読むことはできた。
『ありがとう』
ガラスに息を吹きかけ、震える指先で返事をする。
楡の木を背景に、少女の笑顔が眩しかった。


出題者:
参加するには または してください
パトロン:
アシカ人参
と 匿名パトロン 3 名
Donate using Liberapay
Avatars by Multiavatar.com
Cindy