全く見たことのない異国の文字で文章が印刷された、白い一般的なコピー用紙を渡された。
私には文章の意味がまるでわからなかったが、友人は「何となくわかる」と言った。
私と友人の言語能力には全く差がなく、2人とも同じ場所にいて同じ紙面だけを見ているのだが、なぜ友人は「何となくわかった」のだろうか?
*Q1 名無し編集者さんのオマージュです。
転載元: 「【異国ますか?オマージュ】the only words we need to communicate」 作者: gattabianca (Cindy) URL: https://www.cindythink.com/puzzle/6371
「何となくわかる」の解釈自体がそもそも友人と異なっていた。
私は、文字情報からある程度具体的な内容を理解しないと「わかる」にはならないと考えていたのに対し、友人は、周辺状況から「何について」書かれているかわかった時点で「何となくわかる」と言っていいと考えた。
私:なんで「何となくわかった」の?
友:だって、これまでもあの場面で配られるものは講演者の略歴だろう。だから、それに違いないと思ったんだ。二千何年とか数字も入ってるし、間違いないだろう、って。多分あの資料だけ翻訳する余裕がなかったんだろうよ。
私:で、どういう略歴?
友:知らない。ただ、略歴だってことは「何となくわかる」って言っただけだよ。まあ後で通訳が言ってたとおりじゃないの。
私:え、何となくわかるって言ったらその内容がわかってるってことじゃないの?
友:何について書いてあるかわかった時点で、何となく、って言ってもいいんじゃない?
私も友人も語学はできないが、こうしてみると、友人の方が語学の素質はあるような気がする。
言葉以外のことから情報を入手するとか、推論するとかできる人の方が、細かいことにこだわる私より、きっと語学の習得には向いている。
そもそも、同じ言語を話していても、「なんとなくわかる」の解釈ひとつとって違うんだ。
そこにハードルを感じてしまう私は、たぶん語学には向いていない。
もちろん、友人は、そんなことは何一つ気にかけていないようだった。