翌日の夕方、ネズミに樽をかじらせて穴を開け、中のワインを減らした少女は、必死で樽を転がしてドアの前から動かし、リビングに出てきた。
薄暗がりの中、床に倒れている男を見つけて悲鳴を上げる。脇腹の服地が裂け、黒く染まっていた。

おにいちゃん！　だいじょうぶ！？　ケガしたの？

おう、カメコ・・・出られたか・・・良かった・・・

カメコ？　やだよ、そんなヘンな名まえ。あたしはね・・・

しかし男は再び目を閉じ、それきり返事をしない。
困惑した少女は、男の手元にタブレットを見つけ、電源を入れてみた。
ロックはかかっていなかった。
画面に目を走らせる。読めない漢字はあるが、男が少女のために誰かに助けを求めたことを理解した。

解説欄に少女宛らしきメッセージがある。
誤字だらけの。だがひときわ目立つ大きな文字の。


・・・・・・・・・・・


少女はふらつく足で玄関から外に出た。壊れた建物ばかりの奇妙な街。夕暮れの空がとても広く感じられた。
道路の舗装もガタガタ。何度も転倒しながら進む。
やがて屋根のある小屋から、銀髪に青い目の老婆が飛び出してきた。警戒しつつ少女に近づき、少女にはわからない言葉を呟く。


少女はかすれた声で訴えた。

たすけて・・・
Help・・・

Help US !
PLEASE !!!

かめ子をにがしてくれたおにいちゃんへ


おにいちゃん、けがは直りましたか？
かめ子は元気になりました。
本当はかめこという名前じゃないんだけど、おにいちゃんがかめこってよんだからかめこでいいです。ほんとの名前は教えちゃだめって言われたの。

わたしがゆうかいされてから、おにいちゃんがずっとわたしのごはんとお水をはこんでくれてよかったと思います。
暗い部屋はこわかったけど、おにいちゃんがジャンパーやランタンかしてくれたり、時どき頭なでてくれたから、おにいちゃんはやさしい人だと思ったの。だれかが大声でどなったり、大きな音がしたあと、おにいちゃんの顔とかがふくれて、いたそうだったので、きっとだれかにたたかれてめいれいされてるんだなって思いました。
だから、おにいちゃんは悪くないと思います。悪いのはべつの人です。

わたしはずっと前からジャンパーのファスナーでたるをガリガリやってあなをあけようとしてました。でもねずみに手つだってもらうってすごいいい考えです。
おにいちゃんが、タブレットで聞いてくれて教えてくれたから、わたしは早く出られました。

あの後、小屋のおばあさんに助けてもらいました。おまわりさんみたいな人が来て、わたしを日本の人に会わせてくれました。
わたしはシンガポールに返って、おじいさまとおとうさまとおかあさまに会って、また学校に行けることになりました。毎日あそんだりべん強したりして、とてもたのしいです。
かめこを助けてくれてありがとうございました。

もしもまたおにいちゃんに会えたら、わたしのペットのねずみに会わせてあげます。シンガポールのおみせで買ったまっ白いねずみで、暗いへやのねずみより小ちゃいです。
わたしはもうねずみはこわくないです。いのちのおん人、じゃなくて、おんねずみです。

おにいちゃんがどこにいるのかわかんないけど、お手紙とどくといいな。

でわさようなら


かめ子