かきくりーむけろっこは死んだ。何故?
転載元: 「水平思考ゲーム」 作者: tomo (Cindy) URL: https://www.cindythink.com/puzzle/1437
残酷な描写があります
草掛興毅は、キーボードを叩く手を止めて首をひねった。デスクトップのパソコン画面に映し出されているのは、『ウミガメのスープ出題サイト cindy』の問題画面。いつもは多数のユーザーにより活発に稼働しているサイトだが、興毅が今参加しているこの問題は違った。『【1on1】tomoからの挑戦状【20×3の扉】』と銘打たれた問題は、『かきくりーむけろっこ』こと草掛興毅と、出題者『tomo』による、1対1の対戦形式。しかし、一つ目の問題を解き終えた時から『tomo 』の書き込みが途絶え、いくら呼びかけても反応しなくなってしまった。
トイレにしては長すぎる、そもそも、なんの断りもなくいきなり途絶えたのだ。とすると、何かの事故や事件に巻き込まれたのだろうか…。興毅が本気で心配し始めた時
ピンポーン
突然チャイムが鳴った。こんな夜中に、来客だろうか。それとも宗教勧誘の類いだろうか。興毅は眉を顰め、玄関のドアを振り返る。
席を立とうとして、ふと、『tomo』のことが気になった。
『私も一旦離席します。』
念のためそう書き込んでから、玄関に向かう。
「はい、お待たせしました」
ドアを少しだけ開いて外を伺うと、そこには、マスクと帽子姿の男が立っていた。一瞬不審者かと身構えたが、着ている白い制服は、ウミガメ宅配のものだ。そして右手には小ぶりの段ボール箱を抱えている。
「宅配便です」
男が、低くくぐもった声で言った。唯一露出している腫れぼったい目が、ぎょろりとこちらを向く。
「ああ、はい」
宅配便なんて頼んだだろうか。興毅は訝しながらも、ドアを大きく開き、荷物に手を伸ばす。
その時
「あっ!」
男がいきなり、興毅の背後を指差して叫んだ。
「えっ!」
とっさに興毅は振り返る。まさか、まさか『バレた』のだろうか。背筋に冷たい汗が流れる。
背後には、いつも通りの自室が広がっていた。テーブル、椅子、パソコン、カーテン、ベッド…何も変なものは見えない。ちゃんと、『隠れて』いる。
「どうかしましたか…」
平静を装い、男の方へと視線を戻す…
金属光沢。風を切る音。男の腕。
ゴツッ
鈍い音。世界が鋭い痛みに揺れる。何も分からぬまま、興毅は崩れ落ちた。
意識が急激に暗くなってゆく中、興毅が考えていることはただ一つだった。
───窓際に隠してある双眼鏡とノートは見られてはいけない…向かいのアパート住民の観察日記を、他人に見られるわけには───
窓際に向かって手を伸ばした姿勢のまま、草掛興毅は動かなくなった。
友沢智樹は椅子に座り込み、荒れた呼吸を整えていた。重労働を行なった為だけではない、精神的にも、今までに無いほど参っていた。
完璧な計画のはずだった。
貴子は、パートタイムで働く独身女性。休日は一日中家にいる。家族とはここ数年疎遠で、親しい友人もいない。住んでいるアパートには監視カメラが無い。そして彼女の部屋の周囲は、すべて空き部屋である。
まさに、殺人には絶好の環境だった。
智樹が考えた計画は、次のようなものだった。
①宅配便の業者に成りすまし、部屋を訪ねる。
②玄関に入ったら、隙を見て殴りつけ、気絶させる
③首つり自殺に偽造して殺す。
我ながら単純すぎる計画だ。しかし、単純だからこそ失敗することは無いだろうと、智樹は確信していた。
とんだ自惚れだった。現実は、思いもよらないところから足を引っ張ってくる。
犯行当日、チャイムを鳴らして宅配業者を偽り、室内に侵入する、ここまでは良かった。白い制服の変装が功を奏し、貴子は自分のことを宅配業者だと信じて疑わなかった。そして貴子が荷物を受け取り、サインをしようと下を向いた瞬間に、智樹は隠し持っていたハンマーを、思い切り振り下ろした。鈍い音がして、腕に硬い振動が伝わってくる。
そう、ハンマーは当たったのだ。しかし、人を殴りつけることへの僅かな躊躇いが、智樹の力を鈍らせた。
貴子は気絶しなかった。彼女は頭を抑え、ハンマーを持つ自分の姿を見ると、部屋の中に逃げ込んだのだ。
智樹は慌てて後を追った。通報されてしまったら、何もかもがお終いだ。
部屋に駆け込み、必死に貴子の姿を探す。散らかったテーブル、付けっ放しのテレビ、食べかけのスナックの袋、開いたカーテン。
いない。しかし、寝室の扉が開いている。脇目も振らずに駆け込む。
いた。今まさに、スマホを手に取ったところだ。こちらの姿を見て、彼女の顔が激しく引きつった。
智樹は貴子に飛びかかった。計画も、作戦も無かった。ただ、冷たい牢屋に閉じ込められた自分の姿が、脳を埋め尽くしていた。
スマホをむしり取り、頭を殴りつける。一度、二度、三度。自分の手にハンマーが握られていることに気付いたのは、貴子が動かなくなった後だった。
失敗だった。信じられないほどバカバカしい、惨めな失敗だった。
しかし、完全犯罪を諦めたわけでは無かった。自殺への偽造が不可能になっただけで、自分が犯人であるという証拠は残っていない。近隣住民には目撃されていないし、動機の面から疑われることもない。後は、うまく逃げるだけだ。
智樹は死体を放置したまま寝室を出ようとして、ふと気付いた。白い制服に、赤い返り血がベッタリと付いている。何かで隠さなければならない。しばらく躊躇して、クローゼットに掛けてあった茶色いコートを着ることにした。昼間からコートを着るのはやや目立つが、不自然というほどではない。家に帰った後、すぐにゴミに出せば、証拠にもならないだろう。
コートを着て部屋を出る。ふと、開け放たれたカーテンが気になった。窓の外から目撃されてはいないだろうか。しかし、道路からはベランダに遮られて部屋の中は見えず、向かい側に建っているアパートも、遠過ぎて、肉眼では部屋の中までは見えないだろう。
智樹は大きくため息を吐くと、貴子の部屋を後にした。
ミスはあった。大きな失敗もした。しかし一番大事な、証拠を残さないことは上手くやった。だから大丈夫、結果的には成功したのだ。自分は無事、やり遂げたのだ。
そう、思っていた。
家に帰り、服と道具を片付け、人心地ついた智樹はノートパソコンを開いた。ブックマークから『cindy 』にログインする。ユーザー名は『tomo』。四月上旬に登録したばかりの新人だが、早くもこのサイトの閲覧が、生活の一部に溶け込んでいた。いつもと変わらず、水平思考問題がズラリと並んでいるのを見ると、智樹の心にもいつも通りの平穏が戻ってくる。智樹は取り敢えず、『届けられに参りました』という問題を解くことにした。出題者は『かきくりーむけろっこ』。このサイトでは自分と同じ時期に登録した、新進気鋭のルーキーだ。
問題ページを開き、問題文に目を通す。
『白い制服を着た宅配業者のカメオは、アパートのカメコの部屋を訪れた。しかし、荷物を渡すこともなく、カメコの部屋にあった茶色のコートを着て部屋を後にした。一体どういうことだろう?』
目を疑った。
これは、自分の殺人のことではないか。アパート、白い制服、茶色いコート、偶然を疑うには余りに状況が同じだ。まさか、目撃者がいたというのか。震える手でキーボードを叩いて質問する。
『元ネタはありますか?』
答えはすぐに返ってきた。
『YES 私の見た光景が元になっています。しかし、解説は私の推測になってます』
指先が激しく痙攣した。間違いない。こいつは、自分の殺人の様子を目撃していたのだ。
身体中の血が逆上する。目の前が真っ暗になり、思わず机に手をついた。脳裏をよぎるのは、『かきくりーむけろっこ』が警察の事情聴取を受けている様子だ。
『そういえば、数日前、あの部屋に宅配業者の制服を着た男が入り込んでいました。顔はこんな感じで、時刻は…』
手元にあったものをめちゃくちゃに放り投げ、何とか心を落ち着けた智樹は、必死に打開策を考えた。まだだ、まだ失敗したわけでは無い。こいつの目撃証言を潰せば…
そして思いついたのは、『かきくりーむけろっこ』を殺すことだった。どうやって目撃したのかは分からないが、もう殺すしか無い。殺さなければ、自分が捕まってしまう。
智樹は、いや、『tomo』は、『かきくりーむけろっこ』の住んでいる場所の特定を始めた。怪しまれないように気を付けながら、際どい質問を投げかける。
『この景色をどこから見たのかは重要ですか?』
『向かいのアパートから見た光景ということで成立しますか?』
『カメオがどんな顔なのかは重要ですか?』
『同じ階から見た光景という事で成立しますか?』
しかし、これ以上の質問を考える間もなく、問題は他のユーザーによって解かれてしまった。正解として表示されたのは、恋人のあいびきという平和なもの。自分の犯した事件の生臭さとは無縁の文章だった。思わずほっと胸を撫で下ろしたものの、まだ安心はできない。こいつは、自分の犯行を、間違いなく目撃しているのだ。
『tomo』は考えた。何とか、部屋番号を聞き出す方法はないか。しかし、そんな個人情報、いきなり聞かれても明かすはずがない。
閃きはすぐに訪れた。そうだ、部屋番号を答えとするような20の扉を作ればいい。確実に聴きだすためには、彼を無理矢理にでも参加させればいい。そのためには…
キーボードをがむしゃらに叩き、『tomo』は一つの企画を書き上げた。
誤字脱字を気にする暇も、レイアウトを考える余裕もなかった。出来上がった文章をコピペして、そのまま出題する。あとは、魚がエサにかかるのを待つだけだった。
それから30分。
チャット欄に書き込みは無い。『かきくりーむけろっこ』はもちろん、ほかのユーザーの反応も無かった。cindy全体が、死んだように更新を止めている。
まさか、気付かれたのだろうか。背筋に冷たい汗が流れる。ユーザー達によって自分の小細工が暴かれ、今まさに、自分の喉元に縄がかかろうとしているのだろうか。不吉な想像が、再び脳裏をよぎる。
いや、そんなはずはない。智樹は狂ったように頭を振った。勝つのは自分だ、そうに決まっている、いや、なんとしても勝たなければならないのだ。
これは頭脳戦、水平思考なのだ。『かきくりーむけろっこ』が真相に気づいて警察に通報するか、自分がうまく彼を殺しきれるか、二つの水平思考の激突なのだ。命と人生を賭けた、どちらがウミガメのスープを飲むかを決める、最大の水平思考ゲーム。智樹は激しく混乱していた。手を。足を、赤子のようにじたばたと動かす。勝つ、勝つ、と、うわごとのような言葉が漏れる。涙の滲んだ目で、チャット欄を激しく睨みつける。
チャット欄が、動いた。
『参加してみます』
『かきくりーむけろっこ』の書き込みだった。
『tomo』は引き攣った笑い声を上げた。
智樹の視界で、『cindy 』の画面が大きく歪む。
何処かで『シンディ』が笑っている、その声が聞こえてくるようだった。
───『かきくりーむけろっこ』は死んだ。何故?───