女はひたすら待ち続けた。
ほととぎすが鳴くのを。
そして静寂を破って、ほととぎすが鳴いた。
女は心の底から喜び、涙を流した。
どういうことだろうか?
*「音ますか?」Q3ノーキンさんのオマージュです。
*百人一首 その八十一【ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる】からのinspireです。
*比喩表現があります。
転載元: 「旧【音ますか?リサイクル】Hört Rachegötter!」 作者: gattabianca (Cindy) URL: https://www.cindythink.com/puzzle/8870
*練習嫌いだった才能あふれるソプラノ歌手の華々しいデビューに立ち会い、「家康タイプ」の指導をした担当教官が喜びの涙を流した。
この子がとうとう回ってきたか…
声楽科の指導教官、康子はため息をついた。
ピアニストの父とソプラノ歌手の母の間に生まれたサラブレッドの規子。
大学にも鳴り物入りで入ってきた。
確かにテストの成績はダントツ、才能も素晴らしかった。
名ソプラノと名高い母親を超えるだろうとの呼び声も高い。
しかし、性格や素行に難があった。
金遣いが荒いとか、見た目が派手だとか、男好きだとか、わがままだとか、性格がきついだとかはまあいいとして、他の学生をいじめて追い出すような真似を平気でやった。
さらにいうと、筋金入りの練習嫌いときた。
いくら素質があってもこれでは…と眉を顰める指導陣も多かったが、両親の手前、退学させることはできなかった。
「あの声で蜥蜴食らうか時鳥」(宝井其角)
美声に見合わぬ態度の悪さに、そんな言葉が囁かれるほどだった。
規子の最初の担当教官信子は、スパルタで有名だった。
「何遅刻してきてるの!」「夜遊びなんてしてるんじゃありません!」「トレーニングしなさい!」そのレッスンルームには怒号が飛び交った。
時には物を投げつけたり手を上げることもあったようだ。
もちろん規子は反発した。練習にはさらに来なくなった。
次の担当教官秀子は研究熱心だった。
海外の最新の教授法を調べ、規子の特性に合いそうな指導をいろいろと模索して試してみた。
規子は最初こそ興味を持ったようだったが、秀子のあまりの熱心さに押され、「もういい。飽きた」と言ってやっぱりレッスンをサボるようになった。
康子は悩んだ。
厳しくしても工夫してもダメ。
もう、自主性を信じて待つしかない。
「いつでも来たいときにここに来て歌って。歌いたくなければ、お菓子つまみにくるだけでもいいから。わかんないことがあったら呼んでくれたら行くから。」
一か八かの賭けだった。
当然最初のうちは来なかった。
しかし、10日間ぐらい経つと、フラッと部屋に来るようになった。
イアホンで音楽を聴きながら、スマホをいじり、お菓子を摘んで帰って行くだけだったけれど。
そのうち、ピアノを弾き散らかし、気が向いたときに発声練習をしたり、軽くアリアを歌ったりするようになった。
…しかし、軽くといっても、世の中で超絶技巧と言われるような曲ばかりである。
聞きしに勝る技術に康子は舌を巻いた。
さらにしばらくすると、
「せんせー、今度の試験だけどさ、どれ歌ったらウケいい?」
「こっちとこっちだったらどっちの曲が私に合う?」
「練習したいんで伴奏やってくれません?」
など、声をかけることも増えてきた。
もちろん、毎日来るわけではないが、圧倒的に練習に顔を出す機会は増した。
目立ちたがりや気まぐれは相変わらずだったが、「まあ、世界的なソプラノ歌手なんてみんなそんなもん。ちょっとぐらいわがままじゃないとね。あなたはいずれ世界に出ていくような子だから」と言ったら、恥ずかしげに笑っていた。
それからというもの、規子は見る見るうちに頭角を表していった。
そして、その実力で、人気演出家キティ・ヴァイスマン演出のオペラ「魔笛」の夜の女王の役を射止めた。
キャラクターとしても、声質としても、彼女にここまでぴったりの役柄はない。
今日はその初日。規子の声がオペラハウスに響き渡った。
これまで待った長い月日を思い、康子はそっと涙を流すのであった。